前回に続き、昨年の風景を写真でお送りします。今回は4月となります。


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 花尻の森の落ち椿

 京都市街から大原に向かうとその入り口付近に小さな社がこんもりとした森に包まれています。土井志ば漬本舗がありますがその隣、ここが花尻の森です。ヤブツバキの名所として知られますが、古くからの伝承が残る地でもあります。

 平氏滅亡後生き残された建礼門院は大原寂光院に幽閉されますが、その監視役として使わされた松田源太夫の屋敷跡がこの花尻の森だといいます。
 また、おつう伝説という話も伝わります。大原におつうという美しい娘がありましたが、若狭の殿様に見初められ愛妾となります。しかし病をきっかけに大原に帰されます。嘆き悲しんだ娘は高野川に身を投じて大蛇となりました。その後、殿様が大原を通りかかったときにこの大蛇が現れ、殿様に襲い掛かりますが、家来に切り捨てられます。しかし、その晩から激しい雷雨や悲鳴に襲われます。恐れおののいた村人は、蛇の頭をおつうが森に、尻尾の花尻の森に埋葬し弔い、娘の霊魂を鎮めました。

 道路の脇の地味な一角で、なんの案内板もなく訪れる人はまれですが、椿の時期は大地一面に散り敷いた椿の花に息を呑みます。椿の美の一端が落花にあることを実感させてくれる光景です。

(2018年4月3日 大原花尻の森にて)



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 木漏れ日の落ち椿

 椿の学名はCamellia japonica L学名の最後にLとあるのは、この命名がスウェーデンの博物学者、カール・フォン・リンネ(1707-1778)によることを表します。
 学名は生物種の名称を2つの言葉を並べて併記する、二名法という約束で表されます。ツバキの例で言えばCamelliajaponicaとなります。最初のCamelliaはツバキが属する種の集まり、これを属といいますが、この属名をあらわし、後のjaponicaはその属の中で個々の種を表す種小名というものになります。つまりツバキはCamellia属(ツバキ属)の中のjaponicaという種であるを示しています。ちなみにツバキ属にはお茶の木(Camellia sinensis)やサザンカ(Camellia sasanqua)などを含みます。
 こうした二名法を始めとする、学名の流儀を創始したのがリンネです。それゆえリンネは分類学の父とも称えられます。リンネの創始した学名の約束は現在も引き継がれていて、これにより言語の違う世界中の人が個々の生物を間違いなく同定することが可能になったわけです。学名の後には省略されることも多いのですが、その命名者の名前を記載することが推奨されています。本来はフルネームで記載すべきですが、リンネばかりは名付けた種が多数に上り、その功績をたたえる意味もあり、例外的にL一字の省略が許されています。

 ツバキCamellia japonicaは日本以外の中国、韓国にも産しますが、種小名にあるとおり江戸期の日本に滞在したエンゲルベルト・ケンペル(1651-1716)がその著書でツバキをヨーロッパに報告していることを元に、リンネがjaponicaの名前を付けたわけです。
 万葉集にも詠われているツバキは古くから日本人に愛されてきた日本を代表する花木といえます。椿の利用はその花の美しさばかりでなく、実からは椿油、木材は印材などの細工、彫刻、器具材に、そして高品質の炭に焼かれます。ツバキの炭はきめが細かく漆工芸などの研磨用にも重用されます。そして燃え尽きた灰も日本食に欠かせない麹菌の育成、染色の媒染剤や釉薬にと利用されました。まさに日本文化を支えている重要な植物といえるでしょう。
 そんなツバキを表す漢字、椿は日本で作られた国字と考えられています。もっとも中国にも椿の字は存在し、日本には産しない別の植物を表します。そしてその美しさはヨーロッパの人々をも大いに魅了して、カメリアと言えばツバキのことを表す単語となっています。
 花尻の森に咲いていたツバキは日本の山野に自生しているヤブツバキという品種ですが、先人は古くから多くの品種を育成してきました。ツバキに限らず園芸植物として大成する条件の一つに様々な形態、色などの変化した変り種が生じることがあります。江戸時代には数百種の品種が知られていたようです。桜も日本人に愛された植物で多数の品種が育成されましたが、花の色、形などのバリエーションは椿には遠く及ばないように思います。

 上の写真は京都府立植物園での風景です。ここには多数の品種が維持されていて、雨上がりの椿園の地面には、様々な色の落花がなんともゴージャスな景観を作り出していました。

(2018年4月7日 京都府立植物園にて)



 日吉大社山王祭

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  比叡山というと京都というイメージがあるかもしれませんが、その本拠はお隣、滋賀県といえます。滋賀県側の比叡山の麓、大津市坂本には日吉大社が鎮座します。ひよしと読みますが古くはひえ(日枝)と呼ばれていて比叡の名の由来でもあります。比叡山に延暦寺を開いた最澄も、比叡山の地主神である日吉大社を延暦寺の守護神として崇敬しました。そして神と仏は習合して山王信仰として発展していきます。全国に約2,000ある日吉、日枝、山王神社の総本社が坂本の日吉大社となります。そして日吉大社のお祭が山王祭です。祭は4日間に渡り、さまざまなイベントが行われます。昨年始めて山王祭二日目を見学してきました。
 写真は花渡り式と呼ばれる儀式の一こま。甲冑を付けた子供を先頭に、花で飾った大指物を持った青年たちが練り歩きます。その行列の一番先頭の子供を琵琶湖を背景に写したものです。盛りは過ぎましたが桜もまだ残っていました。

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 こちらが武者姿の稚児さんと花飾り。地区ごとにこうした花飾りが幾組みも練り歩いていきます。まだ小さい子供は駄々をこねたりして、まっすぐ歩いてもらうのに付き添う大人も一苦労。

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 山王祭のひとつのクライマックスがこの日、夜に行われる宵宮落し神事です。その舞台となる宵宮場には四基の御神輿が安置されていました。まだ人も少なくひっそりとしています。

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 宵宮落し神事とは祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)と鴨玉依姫神との間に若宮が誕生する場面を表すといわれています。前日の夜、牛の神事において両神の婚姻が成立したことを受けたものです。それぞれの神輿に若人が全力で駆けてきてごらんのように神輿の前をがっちりとガードします。これは出産の場面を見られないようにとの意味合いを持ちます。そして別の一群が神輿を力いっぱい前後にシーソーのように揺さぶります。台と神輿がぶつかり合う音が激しく鳴り響きます。これは鴨玉依姫神の陣痛をあらわすといいます。いつ果てるともなく神輿が揺さぶられていましたが、突如、結びの祝詞奏上と共に4基の神輿は一斉に地面に落とされます。この瞬間が御子神誕生の瞬間です。そして、一斉に近くの鼠社まで神輿を担いで駆け抜けていきました。
 ちなみに大山咋神(おおやまくいのかみ)と鴨玉依姫神の間に誕生した御子神が京都上賀茂神社の祭神賀茂別雷大神との説もあるようです。古事記に記載があるとのことですが大山咋神は日吉大社と京都の松尾大社に祭られています。日吉大社、松尾大社、そして上賀茂神社、ともに山上に磐座があることなど共通性が見られ興味深いことです。

(2018年4月13日 日吉大社にて)



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 松尾大社のヤマブキ

 日吉大社と同じ大山咋神をお祭する松尾大社。ここはヤマブキの名所でもあります。またお酒の神様としても知られていて、醸造家からの厚い信仰を受けています。
 そういえば日吉山王祭では神輿が船に乗せられ琵琶湖を渡御しますが、松尾大社の松尾祭でも神輿を船に乗せて桂川を渡御します。偶然の一致なのか興味を引きます。

(2018年4月17日 松尾大社にて)



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 街角のハナミズキ

 京都ビジネス街の真っ只中で可憐に花をつけていました。

(2018年4月18日 烏丸御池にて)



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 京大立て看板も見納め?

 ニュースでも放映されていましたが京大の立て看板が話題になりました。京大に限らず大学であればこうした風景は珍しくないのではとも思いますが、これにいちゃもんをつけたのが京都市。京都大学に対して屋外広告物設置条例に反しているとして撤去を求めたのです。この条例が何を目的にしているのか知りませんが、個人的には写真のような立て看板を見て迷惑、不快さはまったく感じません。むしろ若者の興味、関心が伺え、思わず見入ってしまうような個性的な看板もあったりと好ましく感じます。観光客が訪れるわけでもない大学周り限定の風景であり、学生の町として当然の風景として馴染んできました。もはや文化的景観といってもいいと思います。一方で観光客の訪れる街中にはこれが千年の古都、京都の風景なのかと目を覆いたくなる無節操、かつありきたりな看板、広告、ひいては建築物があふれています。一方は金のない学生のやるボランティア活動、一方は、企業、金持ちが商業目的で行っている事業、どちらを規制すべきかは明らかでしょう。そもそも同じ条例で規制すること自体おかしなことに思えます。さらに絶望的な気分にさせられたのが大学の対応です。学生のサイドにつくと思いきや、市の側に立ち、立て看板撤去を通達、実行したのでした。現在も学生、地元市民も巻き込んで大学、市に対する抗議活動なども行われているようですがどうなることでしょうか。

(2018年4月26日 百万遍にて)



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 ブナ新緑

 京都北山の山中で素敵な樹形のブナに出会いました。

(2018年4月30日 滝谷山にて)



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 大田の沢のカキツバタ

 平安時代から知られた名所です。時期が早いことありますが、ちょっと花の数は少ないですね。住宅街に囲まれた中に、平安貴族が見ていたのと違わない風景が広がっていました。
 人は自然(の風景)を通して古の人と繋がれるのだと思い至ります。逆に言うと、自然と切り離されるということは、過去(の人)とも切れはなされるということなのでしょう。

(2018年4月30日 大田神社にて)