すっかり更新を怠ってました。 特に事情があったわけでもないのですが、夏の暑さと、ちょうど前年の写真をアップし終えた気の緩みからずるずると放置状態に。 期待していた人には申し訳ありませんでした。 あと最近始めた写真のSNSサイト(パナソニックが主催しているLUMIX CLUB PicMate)に写真をアップしだしたことも原因のひとつ。 リンク集に載せてますが、新しい写真はそちらからも見られます。
 写真はずっと撮って溜まっているので、本家のブログのほうもぼちぼち再開したいと思います。 既に2018年も終わり近く、今年初めの写真からこの1年を振り返ってみましょう。 今回は1月の写真からです。



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「雪に埋もれる狸」
 今年も何回か雪景色が見られました。 瓜生山の中腹にある狸谷不動のシンボル狸たちも、雪に埋もれて寒そうです。

(2018年1月14日 一乗寺狸谷不動にて)



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「とんがり帽子」
 この日は上賀茂神社の武射神事を見に行きました。 伝統の装束に身を包んだ人が入れ替わり弓を射ていきます。 赤と緑の華やかな装束で並んで座っている二人の烏帽子姿がかわいらしく、切り撮ってみました。

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「神馬との触れあい」
 何時でも居るわけではありませんが、この日は白い神馬が馬舎の中で見物客のおもてなし。 それにしても馬の目というのはやさしく見ているだけで癒されます。

(2018年1月16日 上賀茂神社にて)



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「水仙」
 昨年もここでスイセンを撮って年賀状に使いました。 花の少ない冬に咲く貴重な植物です。 背景の流れが玉ボケになっていい感じ。
 日本各地に見られ、海岸などに群生して名所として知られる場所も多くあります。 和名もニホンズイセン。 しかし原産地は地中海沿岸、室町時代以前に中国経由で移入したといいます。 今では日本の花として馴染んでいます。 外来種などといって目くじらを立てるのは野暮というものでしょう。
 
(2018年1月18日 五条高瀬川にて)



 鴨川沿いを伏見まで

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「ヌートリア」
 鴨川沿いを下っていくと河原になにやら動く動物が。 近づいてみるとヌートリアでした。 南アメリカ原産のネズミの仲間。 ネコと同大か少し大きなかんじです。 ネコもこの相手には太刀打ちできないでしょう。
 西日本では広く野生化していて、ここ京都でもたまに見かけます。 愛されるスイセンとは違い、こちらは畑などを荒らす害獣として嫌われ者。 特定外来種として駆除の対象です。

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「ペットボトルの滝登り」
 小さな堰の下にはペットボトルが集積していました。 流れ下ってしまいそうなものなのに、滝下にトラップされて、滝を越えようともがいているようです。

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「蟹の憂鬱」
 町外れの道路沿いのカニ料理店の軒先には、巨大な蟹が貼り付けにされ、陰鬱な冬空と対峙していました。 食べられてしまう蟹の無念を象徴するようです。

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「伏見城?」
 伏見城といえば豊臣秀吉が伏見に建てたお城で今は無い、位の認識しかありませんでしたが、遠くから見える写真の天守が気になっていました。 そしてこの日の訪問となったしだい。

 まずは伏見城についてのWikepediaから抜粋しておさらいです。

「伏見城は三度に渡って築城された。最初の城は豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月に建設を始めた(指月伏見城)。しかし1596年(文禄5年)の完成直後に慶長伏見地震によって倒壊した。このため近隣の木幡山(桃山丘陵)に再築され1597年(慶長2年)に完成した(木幡山伏見城)。しかし、秀吉はその1年後の1598年(慶長3年)に城内で没した。秀吉の死後、豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り、代わって五大老筆頭の徳川家康がこの城に入り政務をとった。関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守っていたが、石田三成派の西軍に攻められて落城し建物の大半が焼失した。焼失した伏見城は1602年(慶長7年)ごろ家康によって再建され、1619年(元和5年)に廃城とされた。このとき建物や部材は二条城、淀城、福山城などに移築された。」

 当時伏見は大阪と淀川による水運で結ばれていた京都の玄関口、非常に栄え、重要な場所だったでしょう。 豊臣秀吉が建てたのに使った期間はごくわずか。 後に豊臣家を滅ぼした徳川家康の居城となり、西軍によって落城、焼失させられたというのも皮肉なものです。

 さて現在この地に立っている写真の建物は伏見桃山城キャッスルランド(1964年開園、2003年閉園)という、近鉄グループが作った遊園地の名残です。 根っからの京都人ではないので、この遊園地には馴染みがありません。 遊園地のシンボルとして昔城のあったこの地に、鉄筋コンクリート製の模擬天守を建てたようです。 閉園後は解体予定でしたが、地元の要請もあり保存されることに。 そして付近一帯は京都市により運動公園として整備されました。 もっとも天守自体は耐震基準を満たさないということで入ることはできません。 
 3度壊され4度建てられた現天守。 とりあえずは生き残りましたが、この先どうなるのでしょうか? 京都市としても改修する費用もままならず活用の方法に悩んでいるようです。 木造であれば移築し再利用する道もありましたが、コンクリートでは壊すか(壊れるか)、否かの選択しかありません。

(2018年1月18日 鴨川沿いを伏見まで)



 植物園にて

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「雪しずく」
 スノードロップの名前で知られたこの植物。 雪の植物園で名前のとおり白いしずくを滴らせていました。


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「蝋梅」
 梅と同じ冬から早春に咲き、蝋細工のような質感からロウバイの名前ですが、梅はバラ目、ロウバイはクスノキ目と縁もゆかりも無い植物です。 といいたいところですが、梅もロウバイもともに中国原産、ゆかりはありました。

(2018年1月25日 京都府立植物園にて)



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「月食」
 1月31日全国的に皆既月食が見られました。 かつて天文少年だった自分も皆既月食というと気になります。 幸い天気もよく、寒空の中、外に出てちょこっと見物、そして撮影。 なにせ始まりから終わりまで3時間以上かかります。 終始観察する熱意は無くなったという事でしょう。 月が地球の影に完全に隠れる皆既状態も1時間以上継続します。
 写真は部分食の状態。 見かけは単なる半月ですがこの日は満月。 それが地球の影に覆われて欠けていく途中の月となります。 半月であれば太陽の光が横から当たって、クレーターなど月の表面地形が欠け際に目立ちます。 一方月食の月は満月。 太陽の光は正面から当たっていて、クレーターなど月表面のでこぼこも影ができずほとんど目立ちません。

(2018年1月31日 撮影)