近年は近場の山へ日帰り、ないしは裏山で一時遊ぶだけ、そんな楽しみに物足りなさを感じていたこの夏、ちょっと足を延ばして鈴鹿の山に行ってきました。
 鈴鹿山系は琵琶湖の東、滋賀県、三重県、岐阜県にまたがる、標高1000m前後の山が連なる山塊です。地元なら日帰りの山でしょうが、京都からだとアプローチに時間をとられます。そこで山上で一泊のプランを考えました。といってもテントを持って行くのも大変です。あれこれ調べてうってつけの山を見つけました。鈴鹿山系の北端、東海道を挟んで伊吹山と対峙する霊仙山(りょうぜんざん)です。頂上付近に避難小屋があるのです。

 霊仙山の名前は僧、霊仙に由来します。霊仙はこの山の麓で生まれ、奈良で修行を重ね、空海や最澄らと共に遣唐使として唐に渡ります。彼の地では、日本人としては唯一、三蔵法師(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に通じた僧侶に与えられる尊称)の号を贈られます。霊仙により仏教の秘法が国外に流出するのを恐れた時の皇帝憲宗により、日本への帰国が禁じられます。霊仙はその後故国の地を踏むことなく唐で没します。

 今回はそんな霊仙山への山行を写真で紹介しましょう。


 天候がいまいちすっきりしない8月のある日、バイク(原付)で鈴鹿に向かいます。琵琶湖大橋を渡り、彦根まで延々と琵琶湖の東岸を北上します。3時間強かけて登山口の醒ヶ井に到着です。 

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 地元、米原市で作られた霊仙山の概念図です。複数の登路があります。谷山谷登山道から登りたかったのですが、現在通行禁止となっています。そこで定番の榑ヶ畑(くれがはた)登山道から登ることにしました。

 榑ヶ畑は木地師の祖として知られる惟喬親王(これたかしんのう)が幽閉され没したと伝わる集落があったそうですが、既に廃村です(リンク)。もっとも惟喬親王に関する伝説は各地にあり、有名なのは同じ鈴鹿山系の麓、東近江市君ヶ畑や京都鴨川の上流雲ヶ畑などです。

 ゲートがある登山口でバイクを止め歩き始めます。平日の午後、ほかに登山者もいません。林道歩きも終わり一登りで汗拭峠に到着です。文字通り一休み、汗を拭きます。ここから尾根筋の樹林帯を登っていきます。次第に展望が開けてきて、上部は樹林もなくなり一面の草原が広がります。
 比良山系や鈴鹿山系の山は標高はさほどありませんが、上部は高い木も無く、草原やガレ場が広がります。冬の積雪やら地質の影響でしょうか。比良山系は花崗岩、鈴鹿山系は北にある伊吹山と同じく石灰岩に覆われています。樹林帯の山もいいですが、高木の無い山は見晴らしがよく、開放感が魅力です。
 霊仙山は周囲の山から独立した非常にスケールの大きな山です。そして頂上付近はなだらかな地形が広がり、その台地上には地上から突き出した石灰岩が点々と果てしなく続く、いわゆるカルスト台地が広がっています。

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 この台地の一角に登りついてびっくりしました。無数の鹿の群れがそこかしこにいるのです。小さくて見えないと思いますが上の写真にもざっと30匹以上の鹿が写っています。10匹程度の群れがそこかしこに360度あらゆる方向に点在しているのです。数百匹はいたのではないでしょうか。奇岩が転々と広がる広大な日本庭園のような場所に、野生の鹿が群生しているさまは圧巻の光景でした。
 これだけ鹿が繁殖していると食害も相当のものでしょう。緑に見える草はほとんど鹿が食べないシダ類です。唯一、花といえば、開花してるのかつぼみなのかはっきりしないアフリカ原産のベニバナボロギク位です。これも鹿が嫌う草のようです。霊仙山は田中澄江が選出した「花の百名山」としても知られています。特に福寿草が有名なようですが、現状はどうなのでしょうか? 不安になります。
 向かいの伊吹山も豊かな植生で有名です。また日本百名山の一つでもあり、登山者も多く、観光道路で頂上まで車で上がれて、訪れる人は霊仙山の比ではないでしょう。その結果、鹿も寄り付かず、食害による被害も低く抑えられているとも考えられます。またお花畑が観光資源として大きな役割を担っているので、積極的な保護活動も行われているでしょう。かたや霊仙山はハイカーには知られた名山ですが、一般的な知名度は伊吹山と比べるべくもありません。草原が広がり人も少ない霊仙山は鹿にとっては楽園でしょう。伊吹山を含めて自然環境の行方が気がかりです。
 なお、この鹿らは奈良の鹿のように人に慣れていません。100m近く離れていても警戒し逃げ出し始めます。見晴らす限り一面鹿が点在する中を、一人侵入して行くのは、敵地に足を踏み入れていくような感じです。

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 下界は晴れて暑い日でしたが、山上はガスに覆われ、展望はいまいちです。しかし、雲の動きもめまぐるしく変化します。写真は雲が途切れ日差しが差し込んできた瞬間。
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 無事、避難小屋に着きました。霊仙山の山頂と呼べる場所は3つあります。三角点のあるピーク(1,084m)、標高が一番高いピーク(1,096m)、そして避難小屋からすぐの経塚山(1,040m)です。
 小屋に荷物を降ろし、日の入りまでの時間をカメラを持って頂上付近をぶらぶらします。展望には恵まれませんが、雲が刻一刻と移ろい、景観がめまぐるしく変化します。ガスに巻かれて数数メートルの視界も無くなり方角を見失う瞬間もありました。似たようなカルスト台地が広がり、天候次第では迷いやすい地形です。この山に避難小屋を建てた理由がよくわかります。

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 琵琶湖の湖面が夕日に輝いています。

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 西の夕空をバックに雄鹿がこちらを向いて警戒しています。あわててカメラをむけその雄姿を写しとめることが出来ました。琵琶湖の湖面がもう少し輝いていたらもっとスケール観が出たのでしょうが、贅沢はいえません。一期一会の出合でした。この数秒後には姿を消してしまいました。
 ちなみに、この写真は京都新聞の写真コンテストで最優秀賞を取りました。これまでも何度か入賞していますが佳作どまり、初の最優秀賞で、思い出の残る一枚となりました。

 同じような写真ですが山頂付近の夕暮れの風景が続きます。、
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 地面は石灰岩がごろごろしています。といいたいところですが、ごろごろ転がっているのでなく地面に深く根ざしています。そして風雨に浸食され鋭利なナイフのように尖っています。カルスト台地に見られるカレンフェルトと呼ばれる地形です。道とそれ以外の区別がつきにくく、どこでも歩けますが、歩きにくいこと夥しい。

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 北東の雲が色付いてきました。

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 日没間際の太陽が顔を見せました。雲だか山だか不明瞭な境界に日は没していきました。

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 これが今宵の宿、避難小屋です。最近建て直されたらしく、頑丈で清潔な小屋です。

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 これが小屋の内部。土間と板の間(仮眠室)に分かれています。4-5人でしたら十分快適な宿泊が出来るでしょう。ただし寝具はありませんし、水場、トイレもありません。避難小屋の趣旨からいえば、宿泊目的に利用することは勧められないのかもしれませんが、まあ大目に見てもらいましょう。利用後は掃除をして後から使う人のためにも清潔に利用しましょう。どちらにしろありがたい小屋でした。維持、管理している人(米原市?)に感謝です。

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 山で泊まることのもう一つの目的が星空でした。この付近は西は琵琶湖周辺の市街地、東は中京圏があり、光害の影響であまり期待できないのですが、京都の市街地よりはましでしょう。それに山上で空気の透明度のよさも期待できます。しかし、生憎の天気は夜も続きました。上の写真は東の空ですが、市街地の光とその上の雲には時折雷の光が反射しています。雲間にはそれなりの星が写っていますが、夜通しこんな天候だったようです。
 
 一夜明けた朝の風景です。
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 相変わらず雲がめまぐるしく変化する朝です。夜明け前は日の出などまったく期待できない状態でしたが、日の出の時間は雲が切れ太陽が姿をあらわしました。

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 朝露にぬれた草。

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 頂上に続くカレンフェルト。

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 最高点付近から北方を望む。
 中央右の稜線上にお世話になった避難小屋が見えています。背後、雲の向こうの山が伊吹山。

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 岩に閉じ込められた太古の海の生物。
 荒涼とした岩の風景も生き物と深い関わりがあります。カルスト台地を形成している石灰岩は名前の通り石灰、炭酸カルシウムが主成分です。その成因は太古のサンゴや貝類、有孔虫など海産生物の殻が海底に降り積もって、長時間かけて圧縮、石化したものです。その証拠にそうした生物の姿形が化石として刻まれています。写真は頂上付近の岩にみられた古生物の化石。おそらくウミユリ(ウニなどと同じ棘皮動物の仲間)でしょうか。

 頂上をぐるっと巡っていき帰路は西南尾根を下ります。

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 西南尾根の途中でであった鹿の大群。昨日の群れは10頭前後の群れがそこかしこにいたのですが、ここでは100頭以上の鹿が一塊にいました。まだ、朝早い時間帯でしたので、活動前のねぐらだったのでしょうか?
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 西南尾根から霊仙山方面を望む。
 ゆるやかな尾根が延びています。一見歩きやすそうですが、尖ったカレンフェルトが乱杭歯のように地面を覆い、歩きにくい道のりでした。この日もそこそこよい天気ですが、雲が多く眺望はききません。
 最後の展望台を過ぎると樹林帯に入ってずんずん下っていきます。たどり着くのが今畑の集落。といっても廃村です。朽ちかけた家屋が不気味に建ち残っています。

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 今畑の廃屋。

 さらに下ると車道に出て落合の集落。ここは今畑より立派な家が立ち並んでいますが、やはり廃村とのこと。ここから沢沿いに汗拭峠に向けて登っていきます。この道は本来通行止めだったらしく、荒れた沢の中をルートを見極めながら進みます。汗拭峠からは昨日登ってきた道を榑ヶ畑まで下るだけです。
 早朝からの行動で、午前中早い時間帯での下山となりました。しかし、寝不足の中、いつもより重い荷物を背負った山歩きで疲れたこと、炎天下の中、バイクでの長い帰路を考えると、このくらいの余裕があって丁度でしょう。


 私の好きな文筆家、辻まことに「山で一泊」という本があります。そのあとがきの中で、甘ったれの駄犬トミが、夜の山中を過ごすことで賢くなって戻ってきた、という逸話を紹介したあと、こう綴っています。
「ウラヤマの一泊には空海の知恵がある」

 今回の山で過ごした一夜の山旅で、空海の知恵が得られたかどうか自分には分りませんが、なにより十分な満足を覚えた山行でした。


(2016年8月3日~4日歩く)