最近出合った生きものたちの紹介。今回は血の通ったもの、けものたちです。

P1350006_R
 「対峙」
 京都御苑のなかにある白雲神社での一こま。京都御苑内にはあちこちで猫が住み着いていています。多くは野良猫でこっそりと餌をやる人がその生存を支えています。
 
(2016年5月27日撮影)

P1360128_R
 「子猫ちゃん」
 これも京都御苑の厳島神社で出合った子猫。3匹ほどいました。好奇心と警戒心の狭間で揺れ動いています。
 
(2016年7月1日撮影)


P1330899_R
 「威嚇するボスざる」
 下鴨神社の御蔭祭をみに八瀬の御蔭神社にいったら早く着すぎました。時間をつぶすために、かすかな踏み跡を辿り、比叡山方面に上っていきました。途中には昔の山城跡(八瀬御蔭山城)の石垣なども残っています。さらに登っていくと猿の群れに出くわしました。警戒心が強く、こちらが気付く以前から遠巻きに警戒していたようです。群れの全貌は把握できませんが10数頭は居たでしょうか。唯一この猿だけが姿をあらわにして木をゆすり威嚇の姿勢を見せます。おそらく群れのリーダーなのでしょう。
 
 この上は比叡山。その近江側にはこの地の地主神を祀った日吉大社が鎮座します。延暦寺が開かれると神仏が習合し、山王信仰の本拠地となりました。そしてその使いとされたのが猿です。一方、御蔭祭りは京都でも最も古い神社の一つ、下鴨神社の荒御魂を御蔭神社からお迎えする最古の神幸行列とされます。その御蔭神社は比叡山の西の山懐にあり、京都でも最も森厳な雰囲気に包まれたお社です。そんな御蔭神社の山上で、祭りの朝、山王の使者、猿と出くわすのもなにか因縁を感じてしまいます。
 
(2016年5月12日撮影)


P1350086_R
 「跳躍」
 以前も紹介しましたが、京都市街の真ん中を流れる鴨川そして高野川の河川敷にはときどき鹿が出現します。ごらんの鹿は高野川でここしばらく定着していた個体です。運動不足なのか数十メートルダッシュをくりかえしたり、ご覧のように跳躍したり、不規則な動きをくりかえしてました。山の中の生活とは勝手が違い、ストレスがたまるのでしょうか?

(2016年5月27日撮影)
 
P1340547_R
 「迷子の小鹿ちゃん」
 京都から滋賀に向かう山中越え。その途中の集落、山中町から比叡山方面を散策していました。ここは祇園を流れる白川の源流部となります。交通の便もあまりよくないので山歩きの人も少ない地域です。
 川沿いの踏み跡を歩いていると突然5m先くらいの距離から鹿が警戒音を発し逃げていきました。山中の鹿は通常もっと離れた距離で人間の気配を感じて逃げていくものです。なお、上で紹介した高野川など市街地に現れる鹿はあまり人を恐れず、ある程度近づいても無視しています。
 鹿が逃げたところに近づいてみると写真の小鹿が丸まっていました。まだ背中が湿っていて生まれて間もないように見えます。触れるくらい近づいても逃げるどころか警戒する気配もありません。ひょっとすると出産直後の鹿親子に近づいてしまい、親鹿がぎりぎりまで逃げずに子鹿に寄り添っていたものの我慢しきれず、小鹿を置いて逃げたのでしょうか。逃げていった鹿ははるか彼方に去って影形も見えません。もし親が戻ってこなければ、置き去りにされ小鹿の命もないでしょう。何かとんでもない迷惑をこの鹿親子にかけてしまったのかもしれないと心が痛みました。その後、一本杉方面までぐるっと山を巡ってきて数時間後再び現場に戻ってきたのですが、相変わらず小鹿一匹で変わりありません。心なしか元気がなく、弱ってきているようにも見えます(写真はこのときのもの)。といって、どうすることも出来ません。無事生き残れることを期待して山を降りました。
 一週間後、再び現場に行ったところ、小鹿は消えていました。あたりにその痕跡となるものもまったく見つかりません。無事親と再会して生き延びれたのならよいのですが。

(2016年5月18日撮影)

P1330769m1_R
 「合掌」
 上賀茂の京産大の近くを自転車で走っていると、心痛む現場に出くわしました。鹿が車にはねられたのです。事故そのものは目撃していませんが、たった今轢かれたばかりらしく、道路の真ん中で大量の血を流しながらもまだ生きています。付近の学生が交通整理やら連絡やらしています。鹿はとても立ち上がれる元気はありません。目をひん剥き必死に四肢をばたつかせ自力で道路の脇に這うように移動しました。しかしそこで力尽きたようです。目をつぶりほとんど動かなくなりました。これだけの出血ではどうしようもないでしょう。人と同じ赤い血の流れる生き物はそれだけ人に近い存在です。その生の象徴の血液が流される場面というのは厳粛な気持ちにさせられます。
 動物の交通事故というのはまったく救われない思いがします。それは誰が悪いということなく、悲劇が起きてしまうからです。動物にここは危険だから出てきては駄目だなどの論理が通らないのはあたりまえです。いかに交通ルールを守って運転していても、唐突に飛び出してきた動物に対処するのは難しいでしょう。そして、双方にダメージをもたらします。

(2016年5月8日撮影)


 近年、鹿や熊が人里に出てくるといいますが、根本には人に責任があるでしょう。山を削り道路を通し野生動物の生息圏をどんどん狭めてきたのです。そして車という凶器を縦横無尽に走らせます。本来人間は素手では熊どころか鹿に立ち向かうのも難しいでしょう。しかし、車は猛スピードで走る1トン以上もある鋼鉄の塊です。それは人を含めてあらゆる生物に対する脅威となるのです。
 昔の人は猿を神の使いとしました。また、春日大社の祭神は鹿に乗って鹿島神宮からやってきたといいます。それで奈良では鹿が大切にされてきました。トンボやムカデ、カマキリなどは戦国武将にとっては力の象徴としてその図案が好まれました。日本人は人間だけの閉じた世界にとどまらず、周囲のあらゆる生物を含めて、自身もその一員として共生する文化を育んできたはずです。そうした文化がどんどん失われていく現代社会の行方が気がかりです。人は自然と切り離し、単独で生きていけるものではないからです。