今年のゴールデンウイーク最後の日曜日、5月8日、府立植物園に行ってきました。この日は母の日で例年、無料で開放されるのです。
基本的に花は受粉を助けてもらう、つまり花粉を運んでくれる虫など他生物を引き寄せる役割を担っています。それで派手な色や形、そして蜜を分泌して、あの手この手で虫をおびき寄せるわけです。しかし綺麗になりすぎた花は、受粉には何の役にも立たない人間をも惹きつけてしまい、その美しさ故、乱獲され、自身の生存さえ危うくしてしまいました。なんとも皮肉なことです。
「逆さ睡蓮」
説明するまでもなく上下逆さまの写真です。睡蓮が実物、人物像は水面に写った影です。
(2016年5月8日 京都府立植物園にて)
「ポッポー」
北門から入ってすぐのところでミニSLが走っていました。小さいけれどもちゃんと石炭を燃やして蒸気で走っています。
SL(蒸気機関車)が現役車両として走っていた頃をよく知り、乗った経験のある世代というと60才台以上ではないでしょうか。それでも今も世代を超えて人を惹きつける魅力を持っているようです。私も鉄道に対してさほど思い入れもないし、現役時代のSLに乗ったこともないですが、あの汽笛の音を聞くと懐かしさを感じ、旅情をそそられるのは何故でしょう。
鉄道は単なる輸送機関、という立場でいえば、速さは正義なのでしょうが、鉄道に乗ること自体に価値を見出す人もいます。駅弁を楽しみ、車窓の風景を愛で、車内での偶然のコミュニケーションを楽しみ、汽笛の音に耳を澄ます。そうした人にとっては利用時間が長い、つまり遅いことはたいしたデメリットではないでしょう。貴重な日本の山野をずたずたにして、リニアモーターカーを走らせて、一分でも早く目的地に着く、そうした事業に邁進する現代の日本。それを利用することで得られる豊かさとは別次元の豊かさもあるのです。そうした豊かさに気がつき尊重する人が増えることを心から願います。
SL(蒸気機関車)が現役車両として走っていた頃をよく知り、乗った経験のある世代というと60才台以上ではないでしょうか。それでも今も世代を超えて人を惹きつける魅力を持っているようです。私も鉄道に対してさほど思い入れもないし、現役時代のSLに乗ったこともないですが、あの汽笛の音を聞くと懐かしさを感じ、旅情をそそられるのは何故でしょう。
鉄道は単なる輸送機関、という立場でいえば、速さは正義なのでしょうが、鉄道に乗ること自体に価値を見出す人もいます。駅弁を楽しみ、車窓の風景を愛で、車内での偶然のコミュニケーションを楽しみ、汽笛の音に耳を澄ます。そうした人にとっては利用時間が長い、つまり遅いことはたいしたデメリットではないでしょう。貴重な日本の山野をずたずたにして、リニアモーターカーを走らせて、一分でも早く目的地に着く、そうした事業に邁進する現代の日本。それを利用することで得られる豊かさとは別次元の豊かさもあるのです。そうした豊かさに気がつき尊重する人が増えることを心から願います。
「立てば芍薬、座るはベンチ」
シャクヤクが花盛りでした。それにしてもボタンやシャクヤクは何故こうも花が立派なのでしょうか。植物全体に占める大きさもアンバランスとも思えるほど。もちろん園芸植物として品種改良の結果でもあるのでしょうが。
基本的に花は受粉を助けてもらう、つまり花粉を運んでくれる虫など他生物を引き寄せる役割を担っています。それで派手な色や形、そして蜜を分泌して、あの手この手で虫をおびき寄せるわけです。しかし綺麗になりすぎた花は、受粉には何の役にも立たない人間をも惹きつけてしまい、その美しさ故、乱獲され、自身の生存さえ危うくしてしまいました。なんとも皮肉なことです。
「花との対話」
シャクヤクの花に向き合い絵を描いていました。絵を描くのも、写真を撮るのも、綺麗な花の姿を写しとめ、永遠に残すという意味では似た行為といえますが、その過程は大きく異なります。絵を描くには対象をよく見なければなりませんが、写真を撮るのは一瞬です。写真の方が正確にたくさんの風景を写しとれると思われますが、絵を描いたほうが心に響いた景観をその人の記憶に刻み付けるでしょう。写真を撮ると人は安心してしまい、その場でその美を見尽くそうという意欲を失ってしまうものです。
昔、大学の臨海実習で海の生き物のスケッチさせられました。私はその時間のかかる作業に疑問を感じて、写真をとりまくり、レポートに添付しました。当然のことながら、かえってきたレポートには、スケッチをすることの大切さ、つまり、スケッチが如何に、生物の構造を知り、理解し、記憶する助けになるか、が諄々と説かれていました。今となると、まったく正しい教えだったと汗顔の至りです。
けれどもこれは一般論。絵を描くように写真を撮ることも大切です。本当によい写真は、そうした心構えから生まれることもあるでしょう。対象をよく見て、観察して、その本質を捉えるにはどのように写したらよいか、それを考え抜いてシャッターを押す。なかなか難しいですが。
昔、大学の臨海実習で海の生き物のスケッチさせられました。私はその時間のかかる作業に疑問を感じて、写真をとりまくり、レポートに添付しました。当然のことながら、かえってきたレポートには、スケッチをすることの大切さ、つまり、スケッチが如何に、生物の構造を知り、理解し、記憶する助けになるか、が諄々と説かれていました。今となると、まったく正しい教えだったと汗顔の至りです。
けれどもこれは一般論。絵を描くように写真を撮ることも大切です。本当によい写真は、そうした心構えから生まれることもあるでしょう。対象をよく見て、観察して、その本質を捉えるにはどのように写したらよいか、それを考え抜いてシャッターを押す。なかなか難しいですが。
「アオスジアゲハ」
虫取りに熱中したわけではありませんが、アオスジアゲハははすばしこく飛び回り高嶺の花でした。ましてやその写真を撮るなど至難のワザ。現代はカメラも進化して、こんな写真も簡単に写せてしまいます。
「花咲きこぼれる」
ピンクの小さな花が低木にびっしりと咲いていました。
「花咲きこぼれる」
ピンクの小さな花が低木にびっしりと咲いていました。
「ピンクの金平糖」
上の写真と同じ花のつぼみ。まるで金平糖のようです。
「蛍光ブルーの花園」
花の色の多様さには本当に驚かされます。とくに熱帯など暑い地方でとりわけ顕著です。一般に種の数は熱帯などの方が多く、多様です。しかし、単純に種数が増えただけで花の色、形の多様さを説明できるのでしょうか?
「植物園の休日」
俗にナンジャモンジャと呼ばれることの多いヒトツバタゴの木です。野生ではごく限られた地域に自生している絶滅危惧種のようです。珍しいゆえ何の木か分からずナンジャモンジャと呼ばれるにいたったようです。こうした命名法ゆえ、ナンジャモンジャと呼ばれる木がすべてヒトツバタゴであるとは限らないようです。
芝生の広場にはおもいおもいに休日を楽しんでいました。
芝生の広場にはおもいおもいに休日を楽しんでいました。
「睡蓮1」
PLフィルターを使うことで水面や葉っぱの反射を抑えることができます。PLフィルターといって高価なものでなくこちらで紹介している自作のものです。
PLフィルターを使うことで水面や葉っぱの反射を抑えることができます。PLフィルターといって高価なものでなくこちらで紹介している自作のものです。
「トチの新緑」
トチといえば縄文の昔からその実が貴重な食料となっていました。しかしあくが強く食べられるようにするにはなかなか大変なようです。京都北山の山中、とりわけ沢沿いにはトチの巨木がよく見られます。ホウノキとよく似た巨大な葉っぱを掌上に広げます。
説明するまでもなく上下逆さまの写真です。睡蓮が実物、人物像は水面に写った影です。
(2016年5月8日 京都府立植物園にて)
コメント