北野天満宮の天神市と東寺の弘法市は京都を代表する二大市です。毎月25日に開かれる北野天満宮の天神市は以前紹介しました。今回は毎月21日に開かれる弘法市の風景を紹介しましょう。

東寺というと京都から大阪に向かう新幹線の車窓からも五重塔が見えることでおなじみです。弘法大師、空海が真言密教の根本道場として整備し、現在も大師信仰の中心として人気です。
東寺というからには西寺もかつてはあり、平安京の羅城門をはさんで存在しました。現在の感覚からすると平安京の位置はずいぶん西に偏っていたことがわかります。都の中心を貫く朱雀大路が現在の千本通りに相当し、東限が寺町通りということですから、河原町通りや鴨川などは洛外ということになります。しかし平安京は度重なる火災などで都の中心、御所は現在の位置に、つまり東に移動していきます。風水的には東の青龍が鴨川ということでしょうが、一般的には川を中心に町が栄えるというほうが自然でしょう。川は時には水害をもたらしますが、水は生物にとって必須でありその存在は魅力的です。地下水も豊富で、現在は水道が整備されていますが、鴨川が憩いの場として人を引き付けるのも生物として自然のことでしょう。
個人的には鴨川は交通路としても重宝しています。河川敷には歩道(自転車も含む)が整備されていて高野川、一乗寺付近からから七条まで、信号もなく、車に脅かされることもなく、四季折々の自然の変化を身近に感じながら自転車で走れます。もちろん歩行者に充分配慮するのは当然ですが。

5月21日の弘法市へも 鴨川沿いに自転車で向かいました。
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三条大橋です。欄干などは木製ですが、土台はコンクリートです。

ところで三条大橋というと歌川広重の名版画、東海道五十三次、最後のピースとして有名です。日本橋から始まり五十三の宿場の風景を経て、終点京都は三条大橋越しに見る比叡山の風景となっています。
Tokaido_Sanjoohashi_Rところでこの風景画、どこかおかしいと思いませんか? この絵がどこから描かれたのかを考えたとき混乱してしまいました。背景の比叡山と橋の位置関係からすると、この構図はありえないのです。この図は橋の下流左岸から橋越しに比叡山を眺めています。
南北に流れる鴨川にかかる三条大橋。比叡山は鬼門の方角、東北にあります。つまり三条大橋越しに比叡山を眺めるには橋の下流、右岸から眺めなくてはなりません。実際に現在の三条大橋から比叡山を眺めた写真を掲げておきます。もちろん橋は当時のものではありませんし周りの風景もまったく違いますが、橋越しに比叡山を眺めるにはこの方角からしかありえません。
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Tokaido_Sanjoohashil_R上の図は広重の版画を左右反転したものです。これでやっと実際の位置関係と整合性のある図となりました。
広重は東海道五十三次を実際に歩いたと考えられていますが、別の作家の絵を参考にして描いたという説もあるようです。
この三条大橋の絵を見る限り、実際に自分の目で見てスケッチをしてそれを元に描いたということはなさそうです。

P1140418_19_20_tonemapped_R四条大橋です。
以前は七条を過ぎたあたりで歩道は通行止めだったのですが、その先が開通していたのでいけるところまで行って見ました。
P1140443_4_5_6_7_tonemapped_RP1140438_39_40_42_tonemapped_R東海道と新幹線の橋下。この先、九条通りの手前まで歩道が開通していました。どこまで延びるのでしょうか?楽しみです。
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九条からの鴨川。P1140493_5_tonemapped_R東寺に到着です。拝観料が必要なエリア内をエリア外から撮影。
以下弘法市の風景です。
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P1140485_6_tonemapped_R縁日目当ての人が多いのでしょうが、大師堂やこの大師像の前には熱心にお参りする人が大勢います。