写真とは真を写すと書きますが、そう信じている人はいないでしょう。だれでも自分で撮った写真を見てこんなじゃなかった、とがっかりするのはよくあることです。こんな色じゃなかったのに、もっと明るかった、暗くて写ってないじゃないか、等々。写真の写りに対する不満は人それぞれでしょう。

それではこの原因はどこから来るのでしょうか? いろいろありますが、一つが露出の不適正によるものです。露出とはフィルムなり撮影素子(デジカメでのフィルムにあたるもの)に届く光の量で、絞りとシャッタースピードによって決まります。水道の蛇口に例えてみますと、水の出口である蛇口の管を太くすれば水はたくさん出ます。これが絞りにあたります。一方、蛇口を空ける時間を長くすればたくさんの水が放出されます。これがシャッタースピードです。
光をたくさん取り込むには絞りをあけるかシャッタースピードを遅くします。逆に少なくするには絞りを絞るか、シャッタースピードを早くします。
 
では何故露出が重要なのでしょうか? それは撮影素子が適当な画像を作り出すには適当な量の光が当たる必要があるためです。撮影素子に当たる光が多すぎれば色は白く物の形もはっきりしません。たとえば昼間の太陽を写してもたいてい太陽の形ー満月のような円ーを写すことは出来ないでしょう。それは太陽があまりにも明るすぎて如何に絞りをしぼり、シャッタースピードを早くしてもなお、露出が多すぎて太陽の周辺も白く飛んでしまうためです。一方、露出が少ないどうでしょうか。極端な場合は何も写りません。たとえば闇夜で写真を撮っても普通は何も写らないか、極薄く像が浮かぶだけでしょう。当然その色も実際の色のようには写りません。こうした性質はデジカメに限りません。昔のフィルムカメラでも同様です。よって昔から写真の基礎として露出の重要性が言われるのです。撮影素子なりフィルムが適当な像を得られる光の明暗の範囲のことをラチチュードと呼びます。
 
実は、昔、一般的に用いられていたネガカラーフィルムというのは非常にラチチュードが広く、プリント作業次第で露出不足や露出オーバーなネガからもそこそこまともなプリントが焼けました。「写るんです」のような使い捨てカメラには自動露出機能など入っていません。どんな被写体に対しても一定の露出です。それでもそこそこ綺麗な写真が取れたのは実は使われていたネガフィルムのラチチュードが非常に広かったからです。
一方、プロカメラマンでは一般的だったリバーサルフィルムはラチチュードが狭く、適正な露出を得ることが非常に重要でした。この点で現在のデジカメはリバーサルフィルムと同じく、ラチチュードが狭いままです。露出の重要性は変わらないのです。
 
では適正な露出で撮れば綺麗な写真になるのでしょうか? そうは問屋が卸しません。一枚の写真の中には明るいところと暗いところが混在しているからです。最も明るいところと暗いところ、それらが、如何に適正な露出に設定しようとも、撮影素子のラチュードに収まるとは限らないのです。先ほどの例で言えば太陽が直接画面に入れば太陽とその他の部分、両方とも適正な一つの露出に納めるのは不可能です。これは極端な例ですが、よく晴れた日向や空、それと日陰が入り込むような写真も一つの露出ですべてのものを綺麗に映し出すことは難しくなります。最近のカメラは自動で光の量を測り適正な露出を割り出しているはずですが、そもそも一枚の写真の中に写っている全てのものに対してラチチュードに収まるような適正な露出というものが存在しない場合が多いのです。このことは写真の最も大きな欠点ともいえますし、もはや、写真というものの特徴として意識することもなく染み付いてしまっているようにも思えます。

具体的な写真を見てみましょう。
次の写真は夕方の太陽が画面に入り込んだ極端な逆光での状況を露出を変えて連射したものです。露出の変化は上から、0、-1、+1、-2、+2、です。順番が変則的ですが、これはカメラのブラケット機能のせいで実際に撮影している順番です。走っている人が上から順にずれていくことがわかるでしょう。

P1090892
補正 0

P1090893
補正 -1

P1090894
補正 +1

P1090895
補正 -2

P1090896
補正 +2
 
太陽や空の色、雲の詳細などは明るいので露出過多では飛んでしまったり、色もよく出ていません。一方、ジョギングをする人や、芝生などは露出不足では黒くつぶれています。両者が満足できる描写を示す一枚というのは見つからないのではないでしょうか?
カメラまかせで撮った人は補正0の写真を見てがっかりして、写真とはこういうものだとあきらめていたかもしれません。露出補正したものも含めれば+1辺りが両者の階調をそれなりに写していて適正露出と判断する人が多いでしょう。しかし、地上の景色に重きを置く人は+2の方が好いと判断する人もいるかもしれません。
このような逆光ではカメラは明るいものにつられて露出を少なく見積もりがちです。逆光ではプラスの露出補正をしろといわれているのはこのせいです。
 
われわれの目はどうなっているのでしょうか? 目の構造もカメラと非常によく似ています。絞りに当たる虹彩というものを開け閉めして網膜に届く光の量を調節しています。すなわち目もラチュードに当たるものが存在します。太陽を見ればまぶしくてその形はうまく捉えられないでしょう。逆に暗闇ではものが見えません。ところが人は風景など漠然と見るとき無意識に様々な場所に視線を動かし、その場その場に適正な光が得られるよう虹彩を調節して、適正な露出に調整して映像を取り込み、脳でそれらを統合して絵を作り出します。記憶に残る絵とはそうして合成された絵なのです。よって、たった一つの露出で得られた写真の写りが記憶の絵と違うのも当然といえるでしょう。
 
近年HDRという画像処理が脚光を浴びています。これはHigh Dynamic Range imageの略で、非常に幅広い明暗差を持った画像という意味です。これまでの常識ではそうした幅の広い明暗差を含む被写体を、一枚の写真に取り込むことは不可能でした。それをデジタル処理によって可能にしようという試みです。具体的にどうしたらよいのでしょうか?
 
デジタル処理がなかった昔からこの問題を解決すべくいろいろ試行されていました。ハーフNDフィルターを使って撮影時に画面上の部分部分で入ってくる光の量を変えるのもその一つです。NDフィルターとは色には影響を与えず、光量全体を減光するフィルターのことです。そしてハーフNDとは、丸いフィルターの半分だけNDフィルターとなっているものです。このフィルターを使うことで画面の半分だけ光量を減らすことが出来ます。風景写真では空が画面に入る構図が多くなります。そして一般的に空は明るくかつ雲や色彩など非常に表情豊かです。全体として明るい空と地上部の景色(空に比べて相対的に光量は少ないことが多い)、両方に適正な露光を与えるのにハーフNDフィルターは有効なのです。明るい空の部分はNDフィルターを通し光量を落とすことで雲などの微妙な表情を捉え、かつ地上部の景観も綺麗に写すことが出来ます。これ以外の適用例もありますが、どちらにしろ画面の半分だけ光量を減らすという大雑把な制御しか出来ません。
白黒写真ではプリント作成は撮影者自身が行うことも普通でした。いわゆる暗室作業と呼ぶものです。そうしたプリント作業で一枚の写真の部分部分で露光を変えてプリントすることも普通に行われていました。覆い焼きなどのテクニックです。目的は様々でしょうが一つにはローカルな露出の過不足を調整するということもあったのです。風景写真家の大家アンセル・アダムスは撮影されたフィルムは楽譜に相当し、プリント作業を演奏に例えました。プリント作業の重要性を語る言葉です。
 
近年のデジタルカメラとデジタル画像の処理技術の進展により、画面内の局所的な露出の違いを制御し、一枚の絵を作る出すことが可能となってきました。こうして作られた写真やその過程をHDRと言います。うまい訳語が作られていないのでエイチディーアールとそのままローマ字読みにします。
最後に上の作例から作成したHDR写真をあげておきます。
P1090892_tonemapped
 
この写真はたんにHDR加工を施しただけではないのですが、良いか悪いかは別として、地上の風景も空の階調もそれなりに一枚の絵に収まっていることがわかると思います。
次回以降ではどうしたらHDR写真を作れるのかを解説していきたいとおもいます。